Posted: Sun, 26 Oct 1997 19:49:06 +0900
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野沢@古カメ党の「思い入れのカメラ」コーナーNo.5
松浦岳男ML参加記念バージョン!
“思カメ”No.5では,5大メーカーのトリとしてミノルタをとりあげま
す。サブタイトルにもあるように松岳氏が参加するまでアップ出来ずにい
たもので、ファンの皆様には大変お待たせしてしまいました。
今回ミノルタのどのカメラにスポットを当てようかといろいろ悩んだので
すが,この度松浦岳男氏が米国より無事帰国され,当MLに参加される運
びとなったのを祝して,彼の愛機でもあった“ミノルタSR-T101”に
ついて,ああだがや,こうだがや,千駄ヶ谷,市ヶ谷,阿佐ヶ谷,中野、
高円寺とやってみよまい。
高円寺といえば、20年前そこに住んでいて総武線の乗り越しにかけては
病的な才能を発揮していた、あの千葉勇治郎氏を思い出してしまうのは私
だけではありますまい。電車に乗ってうとうと始めたら、三鷹なんかは朝
飯前で、最高記録は、徹夜マージャンして西千葉から三鷹行きの電車に乗
り、例によってうとうとしてたらまだ新宿だったので安心してまたうとう
と。少ししてやばいと思って駅の看板を見たら“お茶の水”だってんでび
っくり。それにはまだおまけが付いていて、その電車は新宿方向へ向かっ
てた、で2度びっくり、という信じられないくらいの“乗り越しの天才”
でした。彼は実家(チバキカイ)からSRTスーパーをもってきてました。
あまり確かな記憶ではないのですが、たぶん村松会長もミノルタSRのユ
ーザーだったような.......
そして、忘れてはならないのが、伝説の人“スーパートヤマン”さんです。
タクマー300ミリF4と数々のMCロッコールレンズ群、装着するボデ
ィーは言わずと知れたSR-T101だったですよね。(このあいだ佐藤君
が言ってましたが、胎内星まつりの宮内双眼鏡前で写ってる人は外山さん
に似てる、と私も気になっておりました。)
わたしが初めてSR-T101を知ったのは、小学生の頃の少年マガジンか
なにかの雑誌広告でした。ずらっと並んだ交換レンズ群の中央で、神秘的
ともいえる緑色したどでかい前玉を持つ58ミリF1.2標準を付けたSR
-T101の写真は今でも忘れる事ができません。そして、そこに大きくこ
うコピーが入っていたのでした。
「緑のレンズ、ロッコール」
ついでに、
「別れ話にホロゴン」
「キヤノンは、いっそセレナーで」
「そんな話はズマロン」
えー、ここでいいことを思いついてしまいました。小林旭の自動車唱歌の
替え歌です。かなり古い歌ですが、知ってる方は唄ってみてください。
あの娘をペンタにしたくって
にこっ、とズマールニッコール
骨のジンマーズイコーで
アポでランターディスタゴン
毎日、家までトプコール
返事はいつでもアンギュロン
お先はマクロスイターか
諦めかけてもヘキサノン
とうとうあなたはタクマーと
言われたトキナーテレテッサー
おだてでエルマー買わされて
エクター神戸のロッコール
おまえがヘキサーと囁いて
彼女のコシナー手を廻し
まずはあわてずゼンザノン
胸をヤシノンゾナーゾナー
プラナーはずしてこっテリート
セコールするまでズミタール
こーれがタムロンクセノンで
シグマシグマとヘクトール
あなたはとってもズミクロン
こんなことコムラーリケノンと
彼女は一度でソリゴール
とうとう2度目はシュナイダー
失礼いたしました。
あの怪しく緑色にひかるレンズの色は、今では当たり前になってしまった
多層膜コーティングによるものでした。当時はまだ単層が一般的でしたの
で、ミノルタはマルチコーティングの分野で一歩先を行っていたわけです。
私がニコマートを買ってもらうことになった話は“思カメ”第一話に書き
ましたが、実はニコマートに決定するまで、どちらにしようかと最後まで
迷っていた機種がミノルタSR-T101だったのです。
中学2年生だった私は、カメラ屋から各社のカタログを貰ってきていろい
ろ検討していました。候補は、アサヒペンタックスSP、キヤノンFT、
ニコマートFTn、ミノルタSR-T101の4機種で、残念なことにOM
-1はまだ発売されていませんでした(オリンパスM-1の発売はそれから
2年後)。
では、その4機種のなかからひとつに絞り込むまでの過程を思い出してみ
ましょう。
単なる外見のデザインでは、オーソドックスで端正なフォルムのキヤノン
FTが一番好きでした。一眼レフのデザインとしては最もまとまっていた、
と今でもそう感じています。最低の評価を下していたのはニコマートFT
nです。なんだか贅肉が付いてしまりがないといった印象でした。同社の
Fのシャープで無駄のないボディーラインと比べたらなお更ですね。
SR-Tのデザインは嫌いじゃなかったです。他の3機種に比べてかなり小
さく見えたペンタ部から、八頭身美人を想像してしまい、やや華奢に見え
る点で損をしていたかも知れません(その分、繊細に思えたが)。
カタログスペックの面では、測光方式以外では4機種ともほとんど変わり
はありません。最高速千分の1秒、シンクロ60分の1秒のシャッターも
同じ、あっ失礼、マートだけはコパルスクエアーSで縦走りだったからシ
ンクロは速かったはずですね、調べてみますと、やはり125分の1でし
た。まあそれ以外ではどれも当時の標準的な性能でした。
決定的な違いは測光方式で、SPとFTが絞り込み測光、SR-Tとマート
は開放測光です。この当時、絞り込み測光は時代遅れだ、と信じられてい
ましたから、この点でマートとSR-Tが候補として残ったわけです。
AEが当たり前の今なら、そんなことどっちだってよかったのに、と思え
てしまいます。その後OM-2が最初に採用して現在に至るTTLダイレク
ト測光だって絞り込み測光の一種なんだから、どちらが旧式かなんてナン
センスなことです。でも、レンズからボディへの情報伝達(この場合は開
放F値と絞り値の)、という点で開放測光は一眼レフにおける画期的な事
だったのは事実です。
さて、ニコマートとSR-Tに絞られた後すぐに、昌一少年が2機種の詳細
な比較検討に入ったのはいうまでもありません。
どちらも開放測光ですが、マートは中央部重点測光、かたやSR-TはCL
Cとか言う上下2分割測光で、これはのちのマルチパターン測光に発展し
てゆく先進的な方式でした。しかし、このような測光方式の違いに関して
はあんまり重要視していなかったと思います。なにしろ、それまで使って
たカメラがペンタックスS2というメーターの無い完全マニュアル機だっ
たため、それでスパルタ的に鍛えられていたので、次の愛機はメーターが
付いてるというだけでもう十分、と考えていたふしがあります。また、当
時の私は白黒がメインで、トライXの100フィート長尺を自分でパトロー
ネに詰めて使ってましたし、もちろん現像引き伸ばしまで自分でやるとい
う変態、いや天体・写真少年でしたから、メーターに関してはどうでもよ
かった、というのが真相かもしれません。
SR-Tのシャッターはオーソドックスな布幕横走り。一方のマートは金属
羽根の縦走り式、当時としてはまだ珍しい存在で、ユニット式である点と
高速を出し易い構造から将来性は感じていましたが、現在では主流となり
各社のフラッグシップ機にまで採用されるようになるとは想像すらできま
せんでした。
あと両機の機能上の違いとして、マートにはファインダーを覗かなくても
確認できる外部メーター表示がありますが、私には、これもどうでもよい
ことでした。
交換レンズは両社ともかなり揃ってましたし、アクセサリーなどもほとん
ど差はなかったはずです。
最後にデザインですが、先程書いたようにマートは好みではありません。
カメラ本体だけでなくそのケースまでもがカッコ悪かった(なんか犬の顔
みたいな感じがして薄気味悪かった)。それに比べSR-Tのフォルムはや
や線が細く華奢な印象は受けるが、ぼてっとしたマートよりは余程好みの
デザインでした。
こうして回想してくると、なぜ、SR-T101を選ばなかったのか不思議
でなりません。いったい、どうして昌一少年はニコマートを買う気になっ
たのでしょうか。
これは今の私(カメラ面食い?)には分かりません。ひとつだけ確信を持
って言えることは、あの時点でもしOM-1が発売されていれば、間違い
なく私はOMユーザーになっていただろう、ということだけです。
そしたら今ごろは、この喜連川の地に“御丸山瑞光寺”を建立して住職に
おさまり、訪れた観光客相手に
「うちの御本尊はなあ、弥勒菩薩やのうてミクロ菩薩言いますねん。」
「ちょい小さおますけどな、いまに国宝か重文に指定されますさかいに、
よー見ていかはったらよろしわ。この仏はんがでけた時にドイツ......」
こんなふうに説明していたことでしょう。
(オリンパスだから「高千穂神社」の方が適当かもしれませんね。)
ニコマートを選択した理由についておぼろげな記憶をたどっていくと、ど
うもニコンFの影がちらついていた様でした。
「今の僕にはマートでも充分過ぎるけど、将来、必ずFを買うんだ。」
純真だった昌一少年が、こう決意してニコマートを選んだとしても不思議
ではないほど、あの頃のフラッグシップ機というのは憧れでした。
結果的にタナボタで買ってもらったものと合わせて、いまでは5台も集め
てしまうほど魅力的だった最高級機F。
残念ながらミノルタには“いつかはクラウン”といえるフラッグシップ機
が存在してなかったのです(X-1が出るのは5、6年あとのこと)。
現在の若者には信じられないかも知れませんが、当時、一眼レフを買うと
いうことは就職する会社を決めるのと同じくらいの決意がいったのです。
ペンタなりマートなり入門機を標準付きで一台買って、一本づつレンズを
揃えながら自分のシステムを構築していくので、そのメーカーとは長い付
き合いになるわけでしたから。
余談になりますが、突然のマウント変更はリストラで首を切られるような
ものですね。社史を間違って覚えているような社員はブラックリストに載
ってますから、真っ先にこの対象にあげられるハズ。(またこのネタ使っ
てしまった。ごめんね、N田君。)
入社すればやはり上を目指すのが人情というもの。それと同じように“い
つかはフラッグシップ機”を手にしてみたい。これはカメラ選びにおいて
はかなり重要なファクターでした。それが今では、中学生がいきなりEO
S-1やF4にサンニッパ付けてブン回してる時代ですからね、こういう
子のカメラ人生はこの先どうなっちゃうんだろうって心配してしまいます。
それと、あの頃はまだ“ニコン神話”が信じられていた時代でしたね。例
の先幕と後幕でガチャコンしてもびくともしないシャッターの話は神話じゃ
なくて、実話ですけども。
話が肝心のSR-T101になかなかたどり着きませんが、それは無理も
ないことなのです。なにしろあの時買わなかったものですから、それ以来
このカメラには縁というものが無かったみたいです。正確には、15年程
前一度だけ使うチャンスはありました。松浦氏の結婚披露宴に呼ばれた際、
パーティーの撮影を頼まれた私に彼が用意しておいてくれたカメラがロッ
コール55ミリf1.7付きSR-T101ブラックボディだったのです。
不慣れなカメラで失敗しては大変と思い、せっかく用意してくれた松浦氏
の厚意を辞退して、使い慣れた自分のカメラで撮影したのでした。
今にして思えば、あの時松岳SR-T101を使っておけばよかった、とちょ
っぴり後悔しています。それで万一失敗して、
「おい、野沢。あの時の写真、全然写っとらんがや」と松岳に言われても
「あのカメラ、事前に整備しておいた?してなかったの?そりゃまずかった
ね松浦くん。大事な撮影の前には、ちゃんとオーバーホールに出しとく、っ
ていうのは、これ常識よ。」とか言ってごまかしちゃえばよかったのだ。
でも、やはり彼のカメラを使わなかったのは正解だったと思います。昔から
私とミノルタ製のカメラは相性が悪かったですから、本当に失敗してたかも
しれません。この相性とか言うのってあるんですよ、ほんとに。その話は別
の機会にお話するつもりですけど。
その後なかなか巡り合うことのなかったSR-T101でしたが、4年程
前にやっと手に入れる機会が来ました。ただ、なにぶんにも古いカメラな
のでオーバーホールしてまで使う気にはなれません。なんだか老体に鞭打
つようで可哀相な気がするから。
だって、人間ならば老人ですよ、このカメラ。
若い頃しっかり働いたことだろうし、もう休ませてあげたっていい時期に
来てると思いませんか?
そんな訳で、私のところに来てから一度もフィルムを通してもらってない
老兵SR-T101ですが、MCロッコール58ミリF1.2のデカ玉を付
けてあげると往年の若武者振りを彷彿とさせてとても凛々しく見えます。
当時の一眼レフは、少ない機能の割に、大きさ・重さの点では今よりも大ら
かにできてたから、あのデッカイガラスの固まりのようなレンズを付けても、
ボディーが負けてなくてとても良くフィットするんです。
大らかだったのはボディーの大きさだけではありません、ミラーやシャッ
ターのショック・音も現在のカメラと比較してしまうとお世辞にも小さい
とは言えません。
ただし、巻上げのスムーズさは悪くない方だと思います。
私が“一眼レフ巻上げ感触No.1”の称号を与えている‘ミノルタXE’には
及びませんが、スムーズな中にもしっかり感があり、これで巻上げ角度がも
っと小さければかなりいい線いったはずです。
かつて当MLでも話題になった‘XD’もかなり良い感触らしいので、これ
はミノルタの伝統なのかも知れませんね。
ミノルタの35ミリ一眼レフとして初めて登場したのは“SR-2”です。
“1”より“2”が先に出たのはちょっと不思議な気がしますが、“2”
が最高速千分の1秒に対して1年後に発売された“1”は500分の1秒に
スペックダウンしてあるので、ちょうどライカM3とM2の関係に似たネ
ーミングのなのでしょう。
うちの“SR-2”は、数年前の中古カメラ掘出し市の時に
「お願いです、私を身請けして下さい!」という
このカメラからの悲痛な叫びをテレパシーで聞いてしまったために金5千
両をはたいて身請けしてきたのでした。
このSRシリーズの初代“SR-2”の巻上げ感は特にスムーズといった
ところは無く、まあ、当時のカメラとしては平均点くらいでしょうか。
しかし、ラチェットが効いて小刻み巻上げが出来る点は評価しても良いと
思いました。後年になっても他社のカメラでは小刻み巻上げできない機種
が結構ありましたから、“巻上げにこだわるミノルタ”の伝統は初代から
連綿と受け継がれていったのかも知れません。(フルオートのAF一眼レ
フ“α7000”がセンセーショナルにデビューしたその半年後、αシリーズ
の最高級機種“α9000”が巻上げレバーを装備して登場した事実は、ミノ
ルタが“巻上げ”にこだわった最後の証だったのでしょうか)
さて、例によって長々と書いてきた割には、SR-T101にまつわるエ
ピソードといったものは残念ながらあまり書けませんでしたが、それにつ
いては昔からのユーザーの方がメールを送ってくれることを期待します。
今回で5大メーカーへの義理を果たせたので、次回はいよいよ私の超お気
に入りのカメラを取り上げてみたいと思います。(以前、佐藤くんとも約
束してたしね。「伸一さん、遅くなってごめんなさい。」凛子)
P.S 松浦くんへ
あなたのSR-T101ブラックボディーは、今どうしていますか?
使ってないなら、私にちょうだい、とは申しません。
(カメラをこれ以上増やしたくないけど、黒はまだ持ってないし....)
まだ持ってるのなら、仕舞って置かないでどこか見える所に飾ってや
って、みんなで眺めてあげて下さい。老兵に敬意を表してね。
野 沢 昌 一
© Copyright 1997,
Shoichi Nozawa