いよいよ最後は 地獄の帰り道
ふたたびハンガリー/オーストリア国境へ。このあたりですでに、日食から帰る人達の列が続くが、来たときで慣れたのか、帰りの国境は、トランクを開けろと言われたくらいで、スムースに感じられた。でもスタンプはなしだった。ああ、ハンガリーへ行ったんだよ、ぼくたち。証拠はないけど。
渋滞がひどくなる前に、一刻も早く帰らなければならない。昼飯はマクドナルドにしようということになる。じつは第二地点で待機しているとき、村松家の秘蔵食料(真空パックたきこみごはんなど)をふるまわれたのだが、やっぱり早起きは腹が減る。
アウトバーンめざして行く道の両側にぎっしりと日食を見にやってきた人達がいるので驚く。きっとここまできて、国境渋滞やなにかのために時間切れになったんだねー。ここは晴れてたのかしら? だとしたら悔しいじゃん、てなことを話しながら、日食がヨーロッパ的には珍しい、ものすごい盛り上がったイベントだったことにはじめて気付いたが、そのときには、もう 渋滞 としか言いようのない、あのいつもの現象に巻き込まれつつあった。
ようやくインターそばのマックに着く。ゆっくり食べている時間はない。食べ物を仕入れて次の休憩場所を打ち合わせたらすぐ出発だ。がしかし、ここで、ずっと運転して疲れていた杉山氏にラッキーなことが。言葉が通じず、アイスコーヒーのはずが変な飲み物が出てきたのだが、それが意外とおいしかったのである。
カフェクール(中央のコップ)
あとでインスブルックで試してみて、それが「カフェクール」という、ソフトクリームにコーヒーをかけた、不思議な飲み物であることがわかった。ソフトが徐々に溶けると、最終的に甘い冷たいミルクコーヒーになる、不思議な味にはムシもとりつかれた。オーストリアのマックおそるべし。 しかしとにかく飲み物の注文ではいたるところで皆苦労した。
さあ、あとは来た道を帰るのみ。しかし渋滞は激しく、本当に中央高速みたいである。ラジオをつけると、さかんに「アウトバーン」と言っている。絶対にこの渋滞のことがニュースになっているのだ。トホホ。さっきみた日食の感動がなかったらとうてい我慢できないぞ、と思いながら、ひたすら我慢して、最初の休憩地点に着いた。相変わらず混んでいるが、動かないというのはなくなったような場所だ。村松車は先に着いているはず。
あれー、いないよね。どうしたんだろう。あの渋滞で追い越したらわかるし。しばらく待っての結論は「何らかの理由で休憩場所を先にずらしたのだ」と思うしかなかった。
しかし次のお休み所へ行っても黄色いオランダナンバーのBMWは見当たらず、結局、はぐれてしまった。それからは先導もなく、すいてきた道を飛ばしに飛ばす杉山氏であった。
西へゆくほど天気は悪くなり、遅くまで明るいはずが早々に暗くなってきた。アウトバーンを下りるととたんに細く曲がりくねった道になる。もう山なのだ。ひまわり畑からこの山道への変化には驚く。
朝はほとんど車も通っていなかった道だが、今はけっこう通行量がある。対向車には神経使うし、めちゃくちゃ危ない追い越しをする車もあり、じゃまなのろい車もありで気が抜けない。ムシは「帰りは寝ないようにして杉山君をはげまそう」と固く決意するがどうも途中ところどころ寝ていたようだ。
宿のあるSillianから一番近い大きな町はLienzだが、そこを過ぎてからがとても長く感じた。だがしかし、どうにかたどり着く。もう9時を過ぎている。
部屋に荷物を置くと、まだ戻っていない村松家のドアに書き置きを残し、もっとも近いレストラン(別荘村のなかにある)へ急ぐ。ああ、やっとビール飲めるよ! 村松車のことが心配だけど、一応日食が見られて乾杯だ。料理もでっきるだけごーかにして、とくに杉山君はいっぱいなんでも食べていいよ、とか言っていたら「料理長」みたいな人がきて、「もう遅いからピザしかできないねー」と言うではないか! あんまりだけど、もう10時、ここは寝るのが早いオーストリアの山のなかだからしょうがないか。
しぶしぶピザを注文したところへ伝言を見た村松氏が入ってくる。何とアウトバーンの最初の分岐で間違った道へ行ってしまったとのこと。そうだったのかー。杉山車よりさらに1時間多いハードなドライブ、お疲れさまでした。
部屋でラーメンだ、という村松氏を見送り、杉山/山浦/北沢隊は、生ビール(ちょっとエールぽいビールだった)で乾杯したのであった。
ここに、オーストリア/ハンガリー往復1000キロ、皆既2分間のために20時間の旅、は終わった。読者の皆様もまことにお疲れさまでした。
(一応終わり 続編もあるかもしんない)