初代の鏡筒

当時の主な移動手段はバイク(YAMAHA MR50→DT-125)か「星を見る会」の先輩のクルマでしたが、気ままに自由なタイミングで出かけられるのはバイクなので、軽くてリュックに入れて背負っていける大きさにたためる鏡筒にする必要がありました。

ふだんから何か使える材料はないかとあれこれ探していたのですが、当時バイトをしていた雑貨屋さんで売り場のディスプレイに使っていた 5mm厚の大きなアクリル板(たしかライオンのトップ(洗剤)のロゴがプリントされていた)を廃棄するというのでもらってきて、アルミの L字アングルを補強材にして箱型に組み上げて、シーソータイプにしました。
ミラーボックスはアクリル板で、接眼部・斜鏡のつくボックスはアクリル板と 1mm厚のアルミ板で作り、その 2つをアルミの角パイプでつなくだけのシンプルなものです。角パイプに接する底面を広くして安定性を増しつつ、上面を狭くして、箱を重ねる時にコンパクトになるようにしました。

角パイプは一本だとねじれてしまうので二本にして重心位置に 1/4 UNCネジを切ったアルミ板を固定して補強にするとともにカメラ三脚に載せられるようにしました。

セルもアクリル板で作りました。
裏板に 6mmのボルトを 8本立て、そこに「】」型に切り出したパーツを 4つ固定して Rの部分でミラーの側面を支えつつ、そのパーツの上面に水道のゴムパッキンを4mmボルトで固定してミラーを押さえる構造です。

斜鏡は自作が難しいのでダウエルで短径 33mmのセル付き(スパイダー金具ナシ)を買い、一本足のスパイダーを作りました。

接眼部にはちょっと贅沢をして PENTAXのヘリコイド接写リングを使いました。
斜鏡径が大きくないので筒外焦点引き出し量をできるだけ短くしたかったことと、フォーカスの操作感の滑らかさというのは望遠鏡を楽しく気持ちよく使うには重要だと思っていて自作ではなかなか実現が難しいと思っていたからです。
鏡筒への固定は、No.1接写リングとヘリコイドでアルミ板を挟む形でした。

アイピースは Vixenの K 30mmで、No.1接写リングにエポキシ接着剤で固定しました。
主鏡の焦点距離が 675mmなので倍率 22倍、瞳径 5.7mm、実視野 2度の RFTでした。

もう一つの No.1接写リングに K30のスリーブ(内径 36.4mm)を固定し、そこに MIZAR H-100の 24.5mmアイピースホルダをねじ込んで通常の 24.5mmサイズのアイピースも使えるようにしていました。
当時はまだ BORGのようなリング類の入手先はなく、この接写リングの組み合わせというのは便利でしたし、BORGから M42ヘリコイドシステムが出てきたときは、まあ必然だよねと思ったものです。(笑)

運搬時には角パイプをボックスから外し、前後のボックスを重ねれば 160mm×160mm×160mmのキューブになるので、それを防寒具にくるんでリュックに入れ、角パイプ 2本はリュックの横にストックのような感じで固定して運べました。

セルは反射による迷光を防ぐため艶消しの黒で塗装しましたが、ボックスはあえてスケルトンモデルっぽく透明なアクリル板のままにしていて、わりと気に入っていました。
現物も写真も残っていないのが残念です。

完成してすぐの 1978年2月に、茨城県大子町の袋田の滝近くにあった「青少年の家」での合宿に持ち込んでのファーストライトとなりました。(集合写真にかすかに写っているのを発掘したので追加(モノクロ)。さらに友人の近藤くんからもう少し細かいところがわかる写真を提供してもらったので切り出して追加。)

810305-trim.jpegFH000003-r_trim.jpg
これで見た M42は空の暗さと当時の目の良さとが相まって本当に淡いところまでよく見えてきれいでした。
また低空の障害物を避けるためにカメラ三脚に載せたままでひょいと移動してささっと目標物を導入して眺められる身軽さも快適で、つくづく、がんばって作ってよかったと感激したのでした。

この鏡筒は 1985年ごろにクルマを買うまでの間、便利に使っていました。