概要

高2(1975年)の春ごろから地学部の仲間に教えてもらいながら鏡面を自作し、雑誌や書籍を参考に鏡筒や赤道儀を自作した 15cm F8.4反射望遠鏡の製作・改造の歴史です。

作った目的は、中2の夏ごろから MIZAR H-100型(10cm F10反射赤道儀)で始めた木星のスケッチ観測を少しでも大きい口径で行いたかったからでした。
あと、高1の夏までは四街道町(今は四街道市になっている)に住んでいましたが、千葉市に引っ越したために月・惑星しか見られなくなったという事情もありました。
当時、15cmクラスの望遠鏡というのは高校生にとっては非常に高価でしたからメーカー品を買うのはほぼ不可能で自作しか選択肢はなかったのでした。

自作赤道儀は木製でピローブロック 4つを使ったタイプで、熊本の宮本幸男さんが「天体望遠鏡の自作ガイド(誠文堂新光社)」に書かれた記事をほとんどそのまま真似しました。
(たまたま父が工場の設備系の仕事をしていたためにウォームギアなども格安で作ってもらえたり観測小屋を廃材などを組み合わせて作ることができたのは非常に幸運な事でした。)
ネットを漁ると宇治天体精機の方なども同じ記事を参考にされていたようで、おそらく全国で似たようなものを作られた方がいらっしゃったのだろうと思います。(今だったらブログなどで簡単に情報交換ができますね。)

ファーストライトは高2の秋(1975年10月25日)でした。
木製だったため揺れがひどかったのですが、それでも晴れていれば必ず観測をしていました。受験勉強そっちのけでやっていたので親はさぞ心配していた事でしょう。(笑)

その後、大学の入学祝としてアスコの立派な赤道儀を買ってもらったため、木製赤道儀は置き場所の関係ですぐに解体してしまい、残念ながら金属パーツ以外はほとんど残っていません。

その後も大学2年くらいまでは熱心に観測を続けましたが、当時住んでいた自宅(千葉市内)では月・惑星くらいしか見えないことや、バイクでツーリングがてら遠征してのお気楽な観望や星野写真に軸足が移って使用頻度が減っていきました。

さらに就職して富士宮に引っ越した後は置く場所もなくなり、そのままではもったいないので、サークルOB有志で建てた「りゅうこつ小屋」に置いてもらっていました。

その後、りゅうこつ小屋の撤収とともに自宅で保管していましたが、仕事や子育ての合間に観測を継続するモチベーションは維持できず、結果として置き場所の問題も解決できないまま、(なにぶん重い赤道儀なので)月食などの時にひっぱり出す以外は部屋のオブジェになり果てていました。

その後、2018年に使用を再開するまでは長い長いブランクを過ごしました。

余談ですが、高校時代に鏡面製作を教えてくれた友人(菅原くん)にはとても多くの影響を受けました。
彼と二人で木星のスケッチをして文化祭で発表したり、高校生なのに大天連の惑星分科会の集会に押しかけたりしたのはいい思い出ですし、彼は光学系や写真にとても詳しく、1年生のころから現像は自分でやっていたし、レンズの収差についていろいろと教わりました。
大学で写真系の学部に進むことになったのも実は彼の影響だったのでした。